ドメイン業界に20年携わる中澤ストーリー(第4稿更新 2023年2月26日)

見出し

  • NECのPC98「PC9821Ls12/D10 modelD」で遊ぶ
  • 高校生の時にドメインを初めて取得する
  • 高速回線(ブロードバンド:ADSL、光回線)を契約する
  • 大学2年生、XREAで有名なデジロックでアルバイトする、ドメインを提供する側として従事する
  • ポケモンの攻略サイト「ポケモン君に決めた!」でアフィリエイト報酬を稼ぐ
  • Yahooカテゴリに掲載される
  • 当時の最難関のASP「ValueClick(バリュークリック)」審査合格
  • リードメールで、運営者として稼ぐ

NECのPC98「PC9821Ls12/D10 modelD」で遊ぶ

最初に使っていたノートパソコンの紹介

PC-9821Ls12/D10閉じた状態
 ノートパソコンで、付属のゲームやCDで売られている簡易ゲームで遊ぶことはありました。
OSは、Windows 95でした。
OSは、CD-ROMとFD(フロッピーディスク2枚)で、再インストールしたり、初期化することが出来ました。

PC-9821Ls12/D10のスペック

PC-9821Ls12/D10開いた状態
下記、「PC-9821Ls12/D10」のスペックです。

  • Windows95(Windows98、Windows98SEにアップグレードして使用)
  • CPU Intel Pentium 120MHz
  • メモリ 32MB
  • HDD 1.0GB
  • ディスプレイ 12.1インチデュアルスキャンSTNカラー液晶 640×400ドット
  • ネットワーク:アナログ電話回線のモジュラージャック
  • 外部端子:PCカードスロット×2、シリアルコネクタ、プリンターコネクター

という現在の価値からすると、ものすごく低スペックです。

PC-9821Ls12/D10のスペック表抜粋

PC-9821Ls12/D10スペック表(引用元NEC)
1997年1月販売で、NECに製品スペック情報のサイトが現存していました。

結構な高価格なPCだったようです。
現在の金銭価値のレートで言うと、80万円のノートパソコンと言ったところでしょうか。

PC-9821Ls12/D10 ・・・標準価格:398,000円(税別)

PC-9821Ls12/D10の写真

PC-9821Ls12/D10型番ロゴ
 開いた状態の右上にある型番のロゴです。

PC-9821Ls12/D10裏面
PC-9821Ls12/D10の裏面の写真です。

PC-9821Ls12/D10型番拡大
PC-9821Ls12/D10の裏面の型番分の拡大した写真です。

高校生の時にドメインを初めて取得する

初めて取得したドメインのWHOIS情報
 高校生の時に、P2P用のサーバーを建てるためにドメインを取得しました。

P2Pとは、ピアツーピア(Peer to Peer)という接続方式のデータ交換などのサーバーを指します。
2,000年代、WinMXやLimeWire、Cabos、Spotifyなどがありました。

一般的には、DDNS(Dynamic DNS、ダイナミックDNS)というサブドメインにAレコードを割り当ててもらい、自身の変動IPアドレスに指定してもらうのが一般的でした。
WHOIS情報は公開されるし、良いことは何もなかったですが、独自ドメインを高校生ながら試しました
DDNSは、提供が無料のサービスが多く、頻繁に参入と廃業が多く、アドレスの通知、共有に嫌気がさしたのもあります。
サブドメインという抽象的な価値より、自信が所有するドメインという属性に興味を持った点が大きいと思います。
この考えは、今も生きており、一般社団法人ギグワーカーでは、独自TLD(ブランドTLD)の管理をしていこうという動きの原動力の一つとして、現存しています。

クレジットカードを持っていなかったので、コンビニ現金払いした。
ドメイン代1,000円程度に対して、コンビニ決済手数料が1,000円くらいかかった。
クレジットカードを持てない学生が、ドメインを取得するのは非常に高かった、割高だった。

高速回線(ブロードバンド:ADSL、光回線)を契約する

高校時代のクラスメートの影響で、ダイヤルアップ接続に課金する

 高校の同級生、岩下君の影響があり、ダイヤルアップ接続に課金するようになりました。
当初は、自宅に呼んで、64のスマッシュブラザーズなどの対戦ゲームをしたりしていました。
自宅にノートパソコンがあるということで、彼がダイヤルアップ接続を設定してくれました。
プロバイダ名は、忘れましたが、ISP利用料は無料でした。
純粋に横浜市内への電話通話料金のみ、課金されました。

電話代が1万円近くになる

 NTTへの電話代が1万円近くになりました。
5分10円程度の通話料だったと記憶しています。

  • 83.3時間=10,000円 ÷ 120円/時間

以内で使用していたかと思われます。

電話料金の基本料、家族が使用した電話代を控除すると、50時間程度使用した可能性があります。

この様な生活を1~2か月使用しました。

友人は、テレホーダイを活用

 深夜の電話需要が激減する時間帯に、テレホーダイというサービスがありました。
テレホーダイのサービスを契約すれば、23時から翌朝8時まで、ダイヤルアップ、電話料金が低額になるサービスです。
料金は、1,500/月程度だったと記憶しています。

 そのため、友人の岩谷君は、夜型生活となり、授業中は寝てしまっているという状態が続いていました。
彼の学業に関してはさておき、当時は、それくらいインターネットが生まれたインパクトは、でかかったということです。
日本中、世界中の人と簡単につながれるというのは、人々の生活を一変させる黎明期であったと思います。

2カ月もたたず、ADSLを契約する

 インターネットで得られる情報は、革命的でしたが、電話代が高額になるという欠点がありました。
幸い、私の住むエリアは、このタイミングで、ADSLの対象エリアとなりました。
そして、イー・アクセスのADSL(下り8Mbps、上り1.5Mbps)を契約しました。

 モジュラージャックから、分配機を挟み、ADSLの機械と電話機を接続します。
電話で使用している周波数とは異なる、高い周波数を利用して、電話とADSLのインターネット通信が両立します。
ADSLの通信速度は、破壊的な衝撃がありました。
月額料金も、4,000~5,000円程度と安価でした。
周囲の人たちがこぞって気にしていたのは、ずっと接続していて、本当に従量課金されないかという不安でした。
友人の中には、使っていない時、怖いから電源落としている人もいたくらいです。
私も、何度も契約書を読み返しましたが、定額という文字を信用して、最初の請求書を見て安心しました。

それぞれの通信速度を比較します。

  • ダイヤルアップ:公称値はは、56Kbps(7KB/s)、実勢速度は、48Kbps(6KB/s)
  • ADSL:公称値は、8Mbps(1MB/s)、実勢速度は、1.28Mbps(160KB/s)

でした。

音楽データ4MBのダウンロードにかかる時間を比較します。

  • ダイヤルアップ:11.1分 = 4,000KB / 6KB/s / 60秒
  • ADSL:25秒 = 4,000KB / 160KB/s

非常に革新的、革命的な速度差でした。
昨今、3Gや4G、5Gなど騒がれていますが、ダイヤルアップやISDNからのADSLほど、私の人生でインパクトを受けた通信、インターネットの革命は感じておりません。

映画データ700MBのダウンロードにかかる時間を比較します。

  • ダイヤルアップ:32.4時間 = 7,00MB × 1,000 / 160KB/s / 60秒 / 60分
  • ADSL:72.9分 = 7,00MB × 1,000 / 160KB/s / 60秒

実際には、ダイヤルアップやISDNで、CD-ROM、CD-R一枚分のデータをやり取りするのは困難でした。
途中で切断された場合、絶望的ですね。
データが破損した際、データの後ろの部分を削除して、途中から再接続する、レジュームという機能も多用されていた時代です。

記憶を思い起こすのに苦労した

 20年近く前の事であり、記憶が風化していました。
ADSLの衝撃は、心の奥に刻み込まれています。
思い起こすのに、参照したサイト、引用したロゴの一覧になります。

イー・アクセスロゴ 引用元:ブランド由来辞典
イー・アクセスロゴになります。
引用元:ブランド由来辞典

ASDLとは? wikipediaリンク

ADSLの高速回線に満足できなくなって行く

 インターネット、ASDLを利用して1年近くが経過しました。
ADSLでの実勢速度は、

  • 下り1.28Mbps(160KB/s):公称値 8Mbps
  • 上り0.64Mbps(80KB/s):公称値 1.5Mbps

でした。

人は、傲慢な生き物かもしれないですが、私もその人で、速い速度になれてくると、もっと早い回線が欲しくなりました。
そのために、出来ることは、かなり試しました。

  • 電話線にフェライトコアを使う
  • ツイストペアケーブルを使う
  • 余計な電波を遮る高価な電話線を使う

などなど。

 基本的にADSLの速度は、NTTの基地局との距離の近さ、遠さに影響を受けます。
基地局から100m程度であれば、公称値の半分程度の爆速が味わえていたそうです。
幸運なクラスメートは、爆速回線を堪能していました。
私の自宅からは、NTTの基地局まで、2kmほどありました。
当時は、基地局までの距離を調べるツールをNTTが提供していました。
住んでいる場所は、動かせないので、これ以上速度を期待する場合、技術的革新を待つほかありませんでした。

高校2年生秋口に光ファイバーを3万円台の工事費を払って引き込む

 NTTが一般向けの光通信の光ファイバーによるインターネットサービスが開始されていました。
高校2年生の秋口に、私の住む地域もエリア内になり、工事費が3万円台と、非常に高価でしたが、申し込みしました。
なお、ADSLの工事費は、3,000円程度だったと記憶しています。

 高校生にとって、3万円台(当時消費税5%)は、1か月分のアルバイト代に相当します。
時給700円 × 4時間 × 週3日 × 4週 = 33,600円

当時、ローソンでアルバイトしていましたが、1か月分のバイト代をつぎ込み、夢の新技術の光ファイバーを導入出来ました。

月額費用は、約5,800円でした。
付随して、プロバイダ料金がかかりますので、ExciteBB(月額525円[税込])を契約しました。

フレッツ光「ニューファミリータイプ」(100Mbps)の実勢速度は、

  • 下り90Mbps(11.25MB/s):公称値 100Mbps
  • 上り90Mbps(11.25MB/s):公称値 100Mbps

でした。
平均して、乱高下はあるものの、大体90MBpsは、速度がキープできていました。

場合によっては、公称値100Mbpsを上回る速度が出る場合もありました。

上下対象の通信回線は、非常に速く、感動を覚えました。

特に通信相手に、同じ速度、またはそれ以上の速度が出るため、
こちら側の上り、アップロードが遅く、気まずい状況は解消されました。

光ファイバー回線100Mbpsの実力

 技術革新とはすばらしいものです。
この時代の日本は、新技術に対して、研究開発を惜しまず、チャレンジしていく姿勢が濃かったと思います。
今思うと、2000年代が、技術大国として、我が国が輝いていた時代だと思います。

音楽データ4MBのダウンロードにかかる時間を比較します。

  • ダイヤルアップ:11.1分 = 4,000KB / 6KB/s / 60秒
  • ADSL:25秒 = 4,000KB / 160KB/s
  • 光ファイバー:0.35秒 = 4MB / 11.25MB/s

映画データ700MBのダウンロードにかかる時間を比較します。

  • ダイヤルアップ:32.4時間 = 700MB × 1,000 / 160KB/s / 60秒 / 60分
  • ADSL:72.9分 = 700MB × 1,000 / 160KB/s / 60秒
  • 光ファイバー:62.2秒 = 700MB / 11.25MB/s

この様に、1日かかっていたものが、1時間で終わるようになり、最終的に1分で終わるようになりました。

1~2年で、この変革が起きたので、当時の私は、感銘、感動を受けました。

PCを購入したり、HDDを造設したり、やりたい放題やっていましたが、デジタルの進化が勢いのある1~2年でした。

HDDを増設したPC

 2023年2月現在、今も現役で利用しているガラケー「N-01E」のSDカードに学生時代に撮影した写真データが残っていました。
HDD増設したPCの表側の写真になります。
HDD増設したPCの表側

HDD増設したPCの中身の写真になります。
HDD増設したPCの中身

HDD増設PCのCPU部分の写真になります。
ご覧の通り、昔はCPUが2個搭載できるデュアルCPUというのがありました。
「PentiumIII」の866MHzのCPUが2個搭載していました。
アプリケーションがフリーズしても、CPUが2個あるので、OSはフリーズしないという利点がありました。
HDD増設PCのデュアルCPU「PentiumIII」

「PentiumIII 866MHz」のCPUの箱です。
ケータイの画像で、画質が良くありませんが、写真として残っているだけでも、非常に懐かしいです。
「PentiumIII 866MHz」のCPUの箱

DualCPUが好きだった

 前項の通り、アプリケーションがフリーズすると、シングルCPU(CPUの搭載が1個)だと、OSがフリーズします。
OSがフリーズすると、電源ボタン長押し、またはコンセント抜くことにより、電源を落とす他ない場合が多々ありました。
フリーズ後、30分ほど、待っていれば、復帰することもありましたが、復帰できるかどうか分からない状況で、ひたすら待つのはつらいです。
そのため、道具への投資として、Intel XeonプロセッサーのDualCPU(デュアルCPU)のPCを組みました。
Xeonプロセッサーは、ワークステーションやサーバーのCPUとして、販売されていたモデルです。
一般的な人は、Intel PentiumIVプロセッサーのシングルCPUでPCを組んで使用する人がほとんどでした。
なので、私は、変わり者だったと思います。
周囲に、ここまでPCや道具への投資をしていた人はいませんでした。

最初に購入したXeon2.4GHzの箱です。
5万円以上するCPUだったので、まず1個購入しました。
Xeon2.4GHzの箱

その後、DualCPU(デュアルCPU)にするために、買い足したXeon2.8GHzの箱です。
Xeon2.8GHzの箱

 快適な作業マシンのおかげで、プログラミングやサイト作成や仕事がはかどったことは言うまでもありません。
この投資が、今の自分へどのくらい影響を与えていたかは分かりません。
ただ、当時、ストレスが、少しでも減っていったことは、間違いなく感じていました。

 2023年現在では、ノートパソコンであっても、搭載CPUは1個ですが、コアが10個以上あるモデルも少なくありません。
スマートフォンでも、同様にコアが10個程度あり、処理能力も高速です。
今では、なにも苦労することなく、快適な作業環境が、誰でも安価に、簡単に手に入ることは、非常に羨ましい限りです。

準備中:高校の写真

リストカメラの写真(準備中)

iアプリを開発し、「」に掲載して週間ダウンロードランキング2位を獲得する

しっかりユーザーの需要にマッチしたペルソナができていた点が、ダウンロードランキング2位を獲得できた主たる原因かと思われます。
画像素材を作ったりするデザイナーとしての素質は、非常に低く、素材を切ったり、くっつけたり、少し加工程度しかできませんでした。

ガジェット「リストカメラ(WQV-1)」を買う

 カシオの腕時計型デジカメ「リストカメラ」を購入しました。
友人たちからは、そんなものに2万を使って馬鹿じゃないの?と言われました。
今思うと、新しい物に飛びついた感があり、他に2万円の使い道があったとも思えます。
しかし、今、この記事を執筆することに至って、過去に友人達と、悪ふざけをしながら、撮影したモノクロの写真データは貴重と言えるでしょう。
当時は、デジタルカメラが、数十万円する時代であり、携帯電話であるガラケーにも、カメラ機能はついていませんでした。
iモード全盛の時代で、iアプリでゲームするというのが流行っていた時代です。
今もスマホでゲームは一般的なので、世代が変わっても何も変わっていないですね。
本記事に画像素材を活用したことで、当時の2万円の価値があったと言って良いので、良い思い出におまけがついた形です。

カシオのリストカメラ「WQV-1」
リストカメラの写真
リストカメラの写真

画像引用:Impress PC Watch リストカメラ「WQV-1」

大学2年生、XREAで有名なデジロックでアルバイトする、ドメインを提供する側として従事する

アルバイト時代

 ドメインのコンビニ払いの手数料が、もったいないので、バリュードメインにドメイン移管しました。
バリュードメインは、ジャパンネット銀行から、無料で銀行送金できるため、決済手数料がとらえることがない点が、魅力的でした。
利用者、ユーザーとして利用しているときに、アルバイト募集のお知らせが1日だけ出ていました。
募集条件にある

  • ドメインの設定方法のサポート
  • サーバーの設定方法のサポート
  • メールの設定方法のサポート

などがありましたが、どれも知識がありましたので、応募してみました。

軽い面接メールを介して、サポートスタッフとして採用されました。

当時から、少し前技術の根幹や業務フローを作成された黒田さんに、慣れるまでは指導をいただきました。
他は、代表者の平岩さんに、分からない点は取り次いだり、質問して、ご教授いただきました。
数カ月もしないうちに、私がほとんどのサポートを返信する様になりました。
もちろん、他のスタッフさんも一緒に対応は行っておりましたが、彼ら彼女たちは、簡単な「入金確認依頼」などしか手を付けない状況でした。
ドメインの設定方法など、お客様によって、やりたい設定が異なるので、技術的な根幹を押さえていないと、対応は難しいです。
テンプレ会頭などしてしまうと、お客様がお怒りになったり、サポートは最悪と言われている時代でした。
安かろう悪かろうとと言うことです。
これは、平岩さんも、安かろう悪かろうと言われていることは、知っており、改善はしたいが、中小零細企業では、そこまでの組織化は簡単ではないとおっしゃっておりました。

従業員時代(執筆中)

KeySystem営業のThorstenSmeetsが来る
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本町TSビルのXREAサーバー
20091011_堂島から引っ越し(堂島→本町203)1
堂島から引っ越し(堂島→本町203)
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GMOインターネット時代(記事準備中)

GMO総会
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アフィリエイトで稼ぐ

ポケモンの攻略サイト「ポケモン君に決めた!」でアフィリエイト報酬を稼ぐ

 小学生の頃から、ゲームボーイでポケモンをプレイしていました。
ホームページ制作やプログラミングを行ってのホームページ制作において、攻略サイトを作ることにしました。
高校の同級生を巻き込み、データ入力は手伝ってもらい、補佐をしてもらいました。

 やるからには、本気で挑みたいものです。
競合他者の分析を行いました。
競合は、個人の紹介レベルのサイトばかりでした。
当時は、ペルソナなんて言う言葉、とあるゲームのタイトル名であることくらいしか、知っておりませんでした。
ただ、サイト制作の際、行っていたものはペルソナです。

  • 競合他者のサイトは趣味レベル
  • アクセス、検索ボリュームは非常にでかい
  • プログラミングを行ってサイト運営しているサイトはない
  • ポケモン図鑑に需要はあるが、350匹程度の個別ページを静的ページであるHTMLで制作しているサイトは皆無
  • 掲示板、BSSなどのCGIを設置しているサイトは多い
  • ウェブ上でのお絵描き需要が高いが、PV数のあるサイトで、実装されてはいない
  • デザインは、どこもへっぽこ、趣味レベル
  • Yahooカテゴリに登録されているサイトは1サイトのみ

Yahooカテゴリに採用され、アクセスが爆増した

 ポケモンの攻略サイトのコンテンツを充実させました。
「赤緑青黄」のリメイクの「ファイアレッド・リーフグリーン」の発売前から、「ルビー・サファイア」の攻略コンテンツの蓄積などを行いました。
正直、デザインは、当時どのサイトも昭和レベルで、私のサイトも、「まぁ良い方だけど、趣味レベルですよね」という感じでした。
営利企業の攻略サイトなどは、一切ない時代ですので、個人の持てる能力と時間を総動員しても限界がありました。
2020年代のワードプレスの様な、CMSも存在しない時代ですので、HTMLべた書きの時代でした。
そのため、今とは、感覚も概念もかなり異なります。

 下記の条件がある程度揃い、Yahooかてごりの掲載が承認されました。

  • 事前の下準備やコンテンツの蓄積(時間にして、数百時間)
  • ポケモン図鑑の動的ページ(Lv30で威力150の「はかいこうせん」の技を覚える、Lv40で威力120の「ふぶき」の技を覚えるなど一括表示)
  • お絵描き掲示板を複数設置した
    →私は絵を描けないので、お絵描きに興味はなかった
  • お絵描き掲示板で、擬人化掲示板が、一定の層から特に人気だった
    →やりたい事と需要は一致していないが、ペルソナが功を奏した
  • 審査基準に影響があったか不明で、時系列も覚えていませんが、バリュークリックの広告掲載が審査にプラスに働いた可能性あり

バリュークリック(Value Click)のアカウント開設、広告掲載が承認された

バリュークリックの紹介

バリュークリックトップページ
 当時、ASP(アフィリエイト サービス プロバイダー)の中で、最上位のASPとされていたのが、「バリュークリック」でした。
圧倒的、地位を確立していました。
広告主、広告掲載者共に、厳選されたものだけが利用できるサービスでした。
クレジットカードに例えると、ブラックカードやプラチナカードを申し込めるようなものと似ています。

ITバブル時代のASP単価

 2000年代は、ITバブルの真っ只中と言う事で、広告単価も、現在と比較して、破格の条件が多かったです。
今では、絶滅気味かと思いますが、下記のような条件が、広告単価としてありました。

  • 広告表示回数に応じて報酬(バリュークリックのみ採用)
  • 広告を1クリックすると報酬が発生(2円~30円が主流だった)
  • 広告を介して、購買に繋がったら、購入金額の3~30%が成功報酬をキックバック

の3種類がメジャーでした。
複合的なものでは、

  • 広告を1クリックすると、10円、購買につながると、購入金額の30%が成功報酬
  • 広告表示回数に応じて報酬、かつ広告を1クリック10円

といった、組み合わせたものもありました。

ITバブル時代の携帯電話のASP単価

 当時の携帯電話である「ケータイ」、「ガラケー」、「iモード」、「EZweb(イージーウェブ)」の携帯のブラウザからのクリックの場合、

  • 広告を1クリック100~300円

といった高単価報酬も珍しくありませんでした。

バリュークリックの広告報酬単価

バリュークリックの広告報酬単価
 バリュークリックは、2000年代初頭、ネット上の広告代理店として、1番のシェアと確固たる地位を確立していました。
広告掲載主は、出版社や報道機関、PV数も月間10~100万ラインは最低条件という形でした。

 広告の報酬単価は、同じ広告を表示させて、

  • 0.01円/1表示(広告を1,000回表示すると10円)
  • 10円/1クリック(100クリックされると、1,000円)

でした。

表示しても、クリックされても、報酬が発生するという素晴らしい広告掲載体系でした。

バリュークリックの審査承認のお知らせ

ValueClick広告掲載サイトの審査結果のお知らせとお詫び
 今ではあまり記憶がありませんが、当時、審査結果の通知に問題があったようです。
そういえば、お詫びというメールの見出しで、「審査落ちた」と思った記憶があります。

審査承認の通知「Congratulations from ValueClick Japan」
 その後、英語のメール文面で、システムからの審査通過のメールが来ました。
ValueClickの審査通過は、Yahooカテゴリ掲載と同等か、それ以上に難しいと言われていました。
この時は、非常にうれしかったです。
外部機関、第三者評価機関から、評価されると言う事は、誰でも嬉しいことですよね。

バリュークリックでの稼ぎ

 ポケモン図鑑は、夕方以降のラッシュ時間には、

  • 毎秒100アクセス

程ありました。

これは、トップページや攻略ページなどを除いた表示回数です。

なおかつ、他のポケモンの世代ソフトのポケモン図鑑へのアクセスは、カウントしていません。

実際問題として、発売されたポケモンのソフトへのアクセスも急上昇し、かつ交換元の古いソフトのアクセス数も、比例してアクセスが増えていました。

例:フィールドを逃げ回るスイクンやライコウを捕まえるために、「くろいまなざし」を覚えたゴルバットを他の世代から交換で移すなど

単体ページとしては、ポケモン図鑑へのアクセスが、非常に多かったです。
全500匹相当のページが公開されているため、単純に、1秒間に、1ページに一人ずつアクセスがあると、毎秒500アクセスです。
全体としては、秒間50~300アクセスの範囲だっただろうと推定されます。

当時は、GA(Google Analitics)などは、存在しなかったので、Apacheのログを見るAnalogや、CGIのアクセス解析が一般的でした。

17時~23時をピークタイムとして考えると

6時間 × 60分 × 60秒 × 300アクセス/秒 = 648万PV/日

と計算できます。

月間アクセス数 = 648万PV/日 × 30日 = 1億9440万PV/月

と計算できます。

全てのページに広告を掲載できていたわけではありませんでした。
アクセスの多いページのみ、手動で広告を掲載していました。

実際に、ゲームの攻略サイトという瞬間風速的な要素があり、1~3カ月程度のみ、この膨大なアクセスがありました。

月に100万円ほど、広告報酬が支払われた実績があり、計算式としては、大雑把ですが、大体一致しています。

過去の形跡、バリュークリックが倒産してしまった今となっては確認するすべはありませんが、

  • 露出保証型広告:9,000万PV(表示)×0.01円=90万円
  • クリック保証型広告:10円/1クリック×1万人=10万円

あたりではないかと、推察します。

高校生、大学生のお小遣いとしては、十分な金額でした。

アクセスが多く、アクセスカウンターのログファイルが良く飛んだ

 秒間100~300アクセスあると、アクセスカウンターのログが飛ぶことが度々ありました。
当時、プログラム言語「Perl」が主流で、Perlで記述されたアクセスカウンターを利用していました。
KENT WEBさんのアクセスカウンターや、出版された書籍を参考に独自作ったプログラムを活用していました。

 2000年代のPerlでは、ロックファイルという仕組みで、ロックファイルが存在していれば、読み込みを待機、書き込み禁止という仕組みが採用されていました。
現在のデータベースも同様です。
データベースの様に、厳密に管理しきれていない、膨大なアクセスを想定していないというのが、当時のPerlを使った簡易データ保存の仕組みでした。

 毎日のようにアクセスカウンターが0に戻ることがありました。
そのため、ロック関数のみでは、データが消滅してしまう状況を打破することを考えました。
バックアップファイルにアクセス数を記録しておき、アクセスをカウントする際に、その数字より多ければ、カウントアップするとしました。
その数字より少なければ、バックアップファイルの数字に1をカウントアップして、表示するする形を取りました。
これで、アクセスカウンターのログが飛ぶと言う事は、かなり軽減出来ました。
それでも、サーバーの問題などにより、ログが飛ぶことは、月に1度くらいありました。
その都度、手元のファイルから概算値を入力して、修正することで対応していました。

 2023年現在の技術では、こう言った問題が発生することは、ほぼないと思います。
データベースが、しっかり管理してくれますので。
とは言え、万全ではないので、バックアップは定期的に取った方がよさそうですね。

Amazonギフト券を100万単位で報酬をもらう

攻略サイトサイト設計
 事前に、ゲームソフトが発売される前から、コンテンツを作成していました。
攻略記事の枠組み、フレームワークを事前に用意していました。
ゲームが発売されたら、睡眠時間を犠牲にして、コンテンツを作成する形です。
事前にサイト設計を行いました。
見出しの画像「攻略サイトサイト設計」を事前に用意して、空白のページを用意していました。
一部他作品と同じだろうと推察されるコンテンツは、事前に埋めていました。
例:技一覧などは、追加はあるが、変更点はほぼなかったため

 画像の作品は、「ファイアレッド・リーフグリーン」のソフトの物になり、当時公開したデザインとコンテンツは、ほぼ変わりがありません。
15年以上、放置しているが、コンテンツは残すべきという先進から、CGIなどは、書き込み停止にして、公開したままにしています。

画像引用元:筆者過去制作サイト「ポケモン君に決めた!

 実際の攻略コンテンツは、発売前のため、当然存在しませんでした。
Amazonの「ファイアレッド・リーフグリーン」の発売前の予約注文で、かなりの件数の注文がありました。
支払いレートが良いAmazonギフト券で換金して、50万円分くらい、Amazonで無銭注文出来た経緯があります。

ゲームソフト4,800円 × 成果報酬3% × 3,500注文 = 50万4,000円

 同様に、「ダイヤモンド・パール」でも、同じことを行い、累計100万円くらいAmazonで注文するときに、現金を使わないという時期がありました。

記事準備中

リードメール「スーパーポイント」で広告収入を稼ぐ(記事準備中)

更新履歴

第1稿投稿 2023年1月25日
第2稿更新 2023年2月9日
第3稿更新 2023年2月12日
第4稿更新 2023年2月26日